いろいろな活動内容

“森は海の恋人”植樹祭in岩手県ー関市2016

今年も〝森は海の恋人 植樹祭、に参加させていただきました。
リッチフィールドが参加するのは今年で5回目です。
メンバーは、ブロッサムの倉橋社長・梶田・谷本・そして私谷川の4名で行ってきました。

2016年6月4日

午前7時にリッチフィールドを出発し、伊丹空港へ。伊丹空港から仙台空港まで、約1時間のフライト。 そして仙台空港から、電車に乗り換えJR一ノ関駅に到着。 JR一ノ関に到着し、まずはお昼ごはん。駅周辺では地震の影響はあまり大きくなかったようで、人々が生活している街並みが普通に並んでいました。 この時点では、まだ「あの大きな震災があった岩手県に来ている」という実感は、正直あまり感じられませんでした。

昼食後、タクシー会社の小野寺さんに〝陸前高田旧市街と奇跡の一本松〟へ案内していただきました。
この場所は、津波で町全体がなくなってしまった〝陸前高田〟です。 山を削り巨大ベルトコンベアーで堀削土を麓の今泉地区や高田地区に運んでいました。現在はその作業も終わり、ベルトコンベアーは現在ありません。 あの震災から5年が経ちましたが、現在では約10mかさ上げされた土地があり、道路は車が通行できるようになっていましたが、津波で無くなった街には建物がほとんど立っておらず、人々が普通に生活に戻れる状態にはまだ難しい環境でした。 津波の記録を残すため、震災当時にまま残している建物がありました。

左から
①5階建ての4階まで津波が襲ってきたことがわかります
②当時のままの学校
③当時の津波の高さがわかる印
④津波の影響で曲がったポール

〝奇跡の一本松〟へ

この海岸は、渚百選にも選定された「名勝・高田松原」、およそ7万本もの松林が存在した有名な景勝地でした。 その松林が津波に襲われ、一瞬に失われました。しかし唯一耐え残った松の木がこの〝奇跡の一本松〟です。 この大きな松の木7万本が一瞬に流された事が、現場に立ってみた私には考えられませんでした。 この写真の奥には太平洋の海が広がっているのですが、現在は堤防ができ、海を眺めることはできません。 ※奇跡の一本松は、残念ながら津波での海水の影響もあり枯れてしまい、現在ではモニュメントとして同じ場所にレプリカが残されています。

奇跡の一本松では寄せ書きノートが有り、この場所を訪れた人々が思いを書き残しています。 私達も、この場所を訪れた思いを書き残してきました。 この様に震災復興も少しずつ進んでいますが、まだまだ周りは工事中で多く、重機などがあちらこちらに見られ走っている車はトラックが多い状態でした。 人々が普通に生活できる街になるには、まだまだ時間がかかりそうです。

夕食は〝福よし〟さんへ

夕食は日本一焼き魚がおいしいといわれる〝福よし〟さんへ… お刺身の盛り合わせはとても豪華で新鮮でたまらなくおいしかったです。また焼き魚は絶品でした!! 明日行われる植樹祭に毎年来られている方は、こちら〝福よし〟に足を運ばれる方が多いようです。 この日も明日行われる植樹祭に参加される方でいっぱいでした。 植樹祭の主催者〝畠山さん〟もこちらに来られていて皆さんと談笑されていました。 ギターメガネをかけた方が畠山さんです。とてもおちゃめな方でした。

今年は「気仙沼プラザホテル」に宿泊しました。 こちらのホテルは高台にあり、周りが気持ちよく見渡せます。 こちら気仙沼も津波の被害に襲われた町です。 まだほとんどの建物が仮設で、私たちが訪れた「気仙沼横町」も仮設でした。 気仙沼横町は、多くの地元の方たちで賑わっていました。