いろいろな活動内容
岩手県一関市“ひこばえの森”2014.5/31-6/1
昨年に引き続き、今年も森は海の恋人植樹祭に参加させていただきました。 メンバーは社長、西神店から僕・梶田と加藤。梅田阪急店から店長の渡辺、ブロッサムさんの倉橋社長の5名です。
会場は岩手県一関市ひこばえの森
「森は海の恋人」植樹祭というのは、牡蠣養殖をされている畠山重篤さんが立ち上げた、海をきれいに豊かにするための森林保全活動です。
なぜ海を育てるのに植樹祭かと疑問に思うのですが、森にある栄養分が川から海に流れ、その栄養分でプランクトンが育ち、そのプランクトンを餌に魚が育つという連鎖で森と海とは、密接な深い関係にあるのだそうです。
しかし東日本大震災で、畠山さんの養殖場は津波の影響を受けました。「それでも海を信じている」と畠山さんは、ありのままの自然を受け入れ、海と共に生きていらっしゃいます。「森に木を植えることは、人の心に木を植えることと同じ」と、畠山さん。
リッチフィールドでは、この言葉に感銘を受け、人が元気になること、さまざまな気持ちや生命を「気=木」と考え、「きになる木リッチフィールド」を2012年に立ち上げ、また、2012年よりこの植樹祭に参加しております。 今年でリッチフィールドも植樹祭に3回目の参加になります。 今年は新たに、植樹活動とバウムクーヘンの販売に加え、地域の保育園にバウムクーヘンをお渡しさせていただきました。
2014年5月31日(土)~保育園訪問
伊丹空港から出発~花巻空港へ・・・
花巻からはレンタカーを借りて2日間移動しました。 まずは花巻から釜石市まで移動。
実は、リッチフィールドスタッフ加藤さんの出身は、今回私たちがお邪魔した岩手県釜石市です。この日私たちが釜石に訪れると連絡し、加藤さんのご家族とお会いすることになりました。しばらく談笑し、久しぶりの家族の再開を見ていると、大変ほほえましく、こちらのほうもとても幸せな気分になりました。 社長は、ご家族の方と話す機会がある時いつも言われている、「リッチフィールドスタッフは皆、私の息子・娘だと思っている。ご家族から預かっている私には大きな責任があります。」という意味が分かる気がします。僕自身もスタッフに対してそういった気持ちで接していきたいと改めて感じました。
実は後ほど、お話させていただきますが、今回の旅でこの加藤さんに、運命の再会が待っています。
釜石駅前商店街にある"まんぷく食堂"で、昼食をいただきました。 海の幸、すごく美味しかった。特にお刺身、最高でした!!
昼食後、釜石市役所の方(山崎さんと佐藤さん)と合流、今回の旅行の目的の一つである、被災された保育園の園児のみんなにリッチフィールドの人気商品"バウムクーヘン"を渡しにいきます。 この企画は、加藤さんが予め釜石市役所に連絡し私たちの旅の目的を説明したところ、市役所の方からも賛同いただき、この企画が立ち上がりました。
鵜住居保育園へ
当日5月31日は土曜日ということもあって、園児さんは少なかったのですが、一人一人にバウムクーヘンをお渡しました。 園児たち皆大変喜んでくれて、私たちも本当にうれしい楽しい一時を過ごすことができました。鵜住居保育園は、今回の震災で被災し、新たに建て直された保育園の一つです。 建て直しの際には、震災時の経験を生かして通路を広げたり出入り口を増やすなど、命の工夫もされたそうです。
2件目 仮設の保育園へ
先ほどと同様に、園児のみんなにリッチフィールドの"バウムクーヘン"をお渡しました。 こちらでも、みんなに喜んいただけたようで、その場で"バウムクーヘン"を「おいしい!おいしい!」と言って食べてくれました。園児たち皆はとても純粋で、元気で、こちらがとても癒されます・・・。
こちらの保育園で、運命の再会が加藤さんに訪れました。
実は、この写真の後列めがねを掛けた女性の保育士さんは、加藤さんが幼少のころお世話になった保育士さんでした!!
保育士さんのほうから、加藤さんに声を掛けられ「加藤さんじゃないの・・・?」「え・・・!!」っとおよそ20数年ぶりの再会です!! しかし、こちらの保育士さんも加藤さんとよくわかったものだと感心しました。今まで何百人いや何千人の子供たちをお世話してきただろうに・・・ましてや幼少の頃とは、顔姿も変わってるだろうに・・・。
二つの保育園にお伺いしましたが、私たちを快く受け入れてくれ、保育園の方、園児の皆さんはとても明るくて元気いっぱいでした!!本当にありがとうございました!!
釜石市の視察
保育園を訪問後、市役所の方の案内で釜石市の視察をしました。 今回、釜石市の視察をするという話をしたとき、「私が案内しますよ。」と市役所の方から言って下さいました。 現場を伺いながら、震災当時のお話をしていただき、今改めて自分がこうしていることのありがたみを強く感じました。 震災当時は、自分の家族の安否がわからない状況のなか、区役所の方も、朝早くから夜遅くまで救助の手伝いをされていたそうです。
市役所の方が、突然震災があって家族と離ればなれになり連絡が取れなくなった時のことを考えて、「何かあったときはここに集まろう」と集合場所を決めるなど、普段から家族で話し合っておいたほうがいいですよ。とおっしゃっていました。その言葉がすごく印象的で、私たちが住んでいる神戸でも1995年に震災を経験しており、本当に大事なことだと実感しました。
釜石市役所前で・・・
市役所の山崎強さん。佐藤さんは、この日土曜日で休日にも関わらず、私たちの為にわざわざ案内をしていただきました。ご丁寧なご説明本当にありがとうございました!!実は写真の左側の方(佐藤さん)は、加藤さんの中学校の後輩にあたる方でした。
夕食~気仙沼市『福よし』にて…
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